『田園の憂鬱』論 第五章 「彼」の理想の妻①


第五章 「彼」の理想の妻

第一節 「ユーラリー」に見る理想の妻


ところで、『ファウスト』の物語の最後にはある〈救い〉が描かれる。ファウストは死に際し、天上のグレートヘンの祈りによってあの世でメフィストに魂を捧げ仕えるという契約から解放されるのである。
『田園の憂鬱』にはエピグラフとしてポーの詩「ユーラリー」の一部が引用されるが、この詩もそういった女性(妻)による〈救い〉を歌ったものであるということは非常に興味深い事実である。










エピグラフには「私は、呻吟の世界で/ひとりで住んで居た。/私の霊は澱み腐れた湖であつた。」という「ユーラリー」の冒頭が引用されるが、実際の詩は加島祥造訳によると「ついに麗わしくて優しいユーラリーが/羞じらいがちの花嫁となってくれた――/ついに金色の髪のユーラリーが/ほほえむ花嫁となってくれた。」[i]と続き、中略して最後に「もはや疑いも――苦痛も/二度とこないのだ/なぜなら彼女の心はぼくのため息をなぐさめて/一日じゅう/強く明るく照っているのだから――/空にある金星、あの愛の女神が/いつもその愛でるユーラリーの上に/恵みの眼を向けているのだから――/その愛でるユーラリーの上に/菫色の眼を向けているのだから――。」[ii]と括られる。






「ユーラリー」に歌われるのは〈ユーラリーという美しい娘に出会って私は救われた〉というテーマであり、エピグラフに引用されたのはユーラリーという女性と結婚する以前を歌った箇所である。この詩を書いた当時すでに物語詩「大鴉」を発表して全米に名を知られていたポーは、胸の病を抱えた妻ヴァージニアとその母と共にニューヨークで暮らしており、この詩は妻ヴァージニアを心に置いて書かれたものであるとされている。ポーはその後、妻の病が悪化して郊外へ移り、妻の病気の不安と同時にジャーナリズムへの野心に苛まれ、論敵との裁判沙汰を起こした矢先、二四歳の妻を失うことになる。そんなポーがこの「ユーラリー」という詩で「ため息をなぐさめて」「呻吟の世界」から救ってくれる「ほほえむ花嫁」として病床の妻を描き出したのである。



















何らかの不幸に陥っている妻が、それでも健気に何かに取り憑かれている夫の幸福を願い、救う。ユーラリーやポーの妻ヴァージニアや『ファウスト』のグレートヘンのような妻のイメージは『田園の憂鬱』の「彼」の妻とはほど遠いように思われる。しかし、「彼」はそれらの女性のように不幸の中でひたむきに夫を思い「呻吟の世界」から救ってくれる〈妻〉像を理想として持っており、妻にそれを求めるからこそ、自分の理想や苦悩について理解せず、受け容れない妻に苛立ち、辛くあたってしまうのではないだろうか。















人気ブログランキング










[i] ポー、加島祥造編『ポー詩集』岩波文庫(岩波書店、一九九七・一)。
[ii] ポー、加島祥造編『ポー詩集』岩波文庫(前掲書)。

コメント