『田園の憂鬱』論 第二章 夫婦の生活への思考①


第二章 夫婦の生活への思考




第一節 妻の生活への思考




『田園の憂鬱』の「彼」は「前後も忘れる深い眠」を求め、妻と二匹の犬と一匹の猫を連れて田舎を訪れる。「いい家のやうな予覚がある」「ええ私もさう思ふの」という夫婦の「瞳と瞳と」の会話から希望とともに幕を開ける田舎家での生活は、むしろ二人の断絶、無理解を浮き彫りにしていく。



………あれほど深い自信のあるらしい芸術上の仕事などは忘れて、放擲して、ほんとうにこの田舎で一生を朽ちさせるつもりであらうか。この人は、まあ何といふ不思議な夢を見たがるのであらう………。それにしても、この人は、他人に対しては、それは親切に、優しく調子よくしながら、何故かうまで私には気難かしいのであらう。《中略》返事が気に入らないといつては転ぶほど突きとばされたり、打たれたり、何が気に入らないのか二日も三日も一言も口を利かうとはしなかつたり………。あの人はきつと自分との結婚を悔いて居るのだ。少くとも若し自分とではなく、あの女と一緒に住んで居たならばどんなに幸福だつたらうかと、時時、考へるに違ひない。(一章)



一章において、妻は「彼」が「芸術上の仕事」に手をつける様子が全くないことに疑問を持ち、「彼」が「僅ながらもわざわざ買つて貰つた自分の畑の地面をどう利用しやうなどと考へて居るでも無」いことに対しても不満を抱いている。そして、「彼」の無為な生活ぶりを「一生を朽ちさせる」ような「不思議な夢」と捉え、その意図や心情についてほぼ理解していない。その無理解がここでは「あの人はきつと自分との結婚を悔いて居る」という妄想の形で現出しているのである[i]
同章の「静に、涼しく、二人は二人して、言ひたい事だけは言ひ、言ひたくない事は一切言はずに暮したい住みたい」という妻の「物思ひ」にあるように、妻が田舎生活に求めるのは夫婦の穏やかな「暮し」つまり〈生活〉そのものである。そのため、妻は仕事として志した文学に励むことや「わざわざ買つて貰つた自分の畑」を活用して精力的に田舎生活を営むことを夫に求めるのである。妻は穏やかで活発な生活を送ることを〈よきこと〉とする思考、それを夫にも要求する思考を持っているため、文学の仕事もわざわざ買った畑も放擲してしまう「彼」の暮らしぶりが〈結婚生活への後悔〉という現在の生活に対する否定のように見えるのである。
「彼」の妻への暴力や理不尽な叱責、お互いの苛立ちはこの夫婦の間に影を落としているものの、彼らは決して憎み合っているというわけではない。妻も夫を嫌ってはいないのである。たとえば、夫の笑顔を久しぶりに見て嬉しく思うなど[ii]、妻が夫を慕う描写は散見されるし、一章で妻が気難しい夫が他の女に思いを寄せているのではないかと心配するのは、妻である自分にこそ「親切に、優しく調子よく」接してほしいと望む、若妻らしい好意的な感情があるからである。また、妻は「彼」の無為な生活を不思議に、不満に思っている裏で、「この人は、ほんとうに何か非常に寂しいのであらう」と憐憫の情を寄せ、「風のやうに捕捉し難い海のやうに敏感すぎるこの人の心持も気分も少しは落着くことであらう」とその安息を願ってもいる[iii]。妻は穏やかな生活を営むことができない夫を憐れんでおり、またそれができるようになることを〈よきこと〉として望んでいるのである。
















[i] 夫は自分との結婚を悔いているのではないかと妻が考えるのは、「彼」が妻に気難しく、理不尽な暴力や叱責を行うためであるが、妻は「彼」がなぜそうした行動に出てしまうのかということに対して理解がなく、ここではその原因を勝手に妄想して、他の女に思いを寄せているのではないか、自分との結婚を悔いているのではないか、と考えているのである。
[ii] 二章参照。
[iii] 一章参照。





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