『田園の憂鬱』論 第四章 『ファウスト』と「彼」①


第四章 『ファウスト』と「彼」

第一節 『ファウスト』第一部引用箇所の意味




妻と穏やかに暮らすことの価値を知りながら生活の中に神秘を求める者の苦悩、過去に積み重ねられた芸術と豊かに通じるためあらゆる風景に「芸術的因襲」を孕んだ人工の美を見出してしまう人間の憂鬱、そういったものが『田園の憂鬱』には描かれている。
そうした苦悩・憂鬱は文学において古くから描かれてきたものであり、中でも『田園の憂鬱』十八章で「彼」が読んでいるゲーテの戯曲『ファウスト』はとりわけ大きな作品として挙げることができるだろう。本章では『ファウスト』の主人公と「彼」との共通点や響き合う部分から「彼」の妻や生活に対する思いに迫っていきたい。



現世以上の快楽ですね。
闇と露との間に山深くねて、
天地を好い気持に懐に抱いて、
自分の努力で天地の髄を搔き撈り、
六日の神業を自分の胸に体験し、
傲る力を感じつつ、何やら知らぬ物を味ひ、
時としては又溢るる愛を万物に及ぼし、
下界の子たる処が消えて無くなつて………(十八章)




「彼」は田舎生活の中で不眠と幻聴・幻影に悩まされ、文学の上での自信もなくし、「こんな山里で」「自分は遠からず死ぬのではなからうか」という空想にとらわれる。そして、それから逃れようと『ファウスト』[i]を読み、この第一部の「森と洞」という章の一部分が「この田舎に来たその当座の心持」であったと自覚する。
『ファウスト』第一部は、悪魔メフィストの誘惑を受けて欲望快楽を体験する契約を交わした大学者ファウストが、グレートヘンという心清らかな少女に恋をし、嘘や悪魔の手助けにより彼女を籠絡した末に結ばれるが、最後には発狂したグレートヘンがファウストとの間に生まれた子供を殺め、その罪により処刑される、という悲劇である[ii]
「彼」が読んだのは、ファウストがグレートヘンの肉体に対する欲望や誘惑のために使った嘘まやかしに罪悪感を抱いて町を離れているとき、メフィストがファウストに言った台詞の一部である。この場面、ファウストはグレートヘンへの欲望を忘れるために人里離れた田舎の風物を楽しもうとしているのであるが、メフィストはそれを「現世以上の快楽」だと当てつける。メフィストは自分の欲望を抑え、彼女を傷つけないために田舎暮らしをするなどということは「下界の子」である人間のすることではなく、また人間にできることでもないと冷やかしているのである。
メフィストが冷やかすファウストの欲望を抑えた生活は、まさに「彼」がその価値を認めるところの、妻との生活を第一に重んじ、穏やかな暮らしのために生きる一般の生活者としての生活である。生活のために仕事をしなければと考えながら、やはり生活に生きることのできない「彼」は、この部分を読んで自分がどうしようもなく生活の中に神秘を求め、それゆえに生活を疎かにし、妻に辛くあたり、しかもその欲求を抑えることは「下界の子たる」自分にはできないため、妻と穏やかな生活を送ることは不可能であるのだということを悟っているのである。



  手短かに申せば、折々は自ら欺く快さを
  お味ひなさるも妨げなしです。
  だが長くは我慢が出来ますまいよ。
もう大ぶお疲れが見えてゐる。
  これがもつと続くと、陽気にお気が狂ふか、
  陰気に憶病になつてお果てになる。
  もう沢山だ………(十八章)



さらに「彼」はこの部分を読んで、「メフイストは、今、この本のなかから俺にものを言ひかけて居るのだ」と感じる。つまり、欲望を抑え、自らを欺いて生きることは長くは続かず、もし続けるなら気が狂ってしまうか命果ててしまうというメフィストの皮肉に共感しているのである。ファウストにとってのグレートヘンの肉体に対する欲望は「彼」にとっての「芸術の世界」への欲望、つまり生活の中に神秘を求める気持ちであり、ファウストにとってのグレートヘンの心や人格を尊重しようという理性は「彼」にとって妻との平穏な生活を望む気持ちである。ここで「彼」は欲望を抑えることの不可能性に加え、欲望を抑えるからこそ自分が気の狂ったように幻聴・幻影や霊的なものを感知し、人工の美(神秘)のみの「憂鬱の世界」に落ちこみ、果ては自らの死をすら予感しているのだと感じているのである。




















[i] 『田園の憂鬱』本文に引用される『フアウスト』は森林太郎訳に基づいている。
[ii] 森林太郎訳ではファウストは「フアウスト」、グレートヘン(別名マルガレーテ)は「グレエトヘン」(マルガレエテ)、メフィスト(メフィストーフェレス)は「メフイスト」(メフイストフエレス)と表記される。




人気ブログランキング



コメント