『田園の憂鬱』論 第五章 「彼」の理想の妻②

第五章 「彼」の理想の妻


第二節 「糸とり娘」という理想像




ユーラリーやグレートヘンのような理想の〈妻〉像は、十七章において「彼」の幻想として表れている。目を開けて寝ていた「彼」は、夢うつつ妻の足に「王禅寺の方へ遠足した時、道に迷ふて這入つて行つた家の糸とり娘」の足を見出すのである。「彼」はその「淋しく、つつましく糸を紡いで居る」「美しい小娘」のものと思っていた「綺麗な足」が現実の妻の足であったと知ったとき、幻滅して眠りを妨げた妻を叱りだすのであるが、「彼」の理想の〈妻〉とは、このとき妻の足に見た「糸とり娘」のような、いつも家にいて、淋しく仕事に励み、夫を支えるつつましい〈妻〉であるのではないだろうか。
「彼」が家の中にとどまり仕事をして夫に尽くす〈妻〉を理想としていることは、「彼」が妻の東京への物思いを嫌悪している次のような箇所からも読み取ることができる。






これらの怪異な病的現象は、毎夜一層はげしくなつて行くのを彼は感じた。彼はそれ等の現象を、彼の妻から伝はつて来るものだと考へ始めた。《中略》それ等の幻影は、すべて彼の妻の都会に対する思ひつめたノスタルヂアが、恐らく彼の女の無意識のうちに、或る妖術的な作用をもつて、眠れない彼の眼や耳に形となり声となつて現はれるのではなからうか、彼はさう仮想して見た。(十六章)




このように「彼」は軋る電車や活動写真の囃子の幻聴、「東京の何処かである街」の幻影が妻の東京への「ノスタルヂア」から伝わってくるものだと考える。また、十三章では竈の炎に「大変な人ごみのなか」に着物を取りに東京へ出かけている妻の幻影を見、「ああ活動へ行つて居るな!」と直感してもいる。「彼」は妻が東京に帰りたがっているのだと決めつけ、活動という東京らしい娯楽に興じる妻を想像しては嫌悪し、末は自分の幻聴・幻影の原因も妻の物思いにあるとまで思いこむ。「彼」は終始妻の東京への執着や女優としての未練を嫌うのである。
東京にとらわれるということは、妻が今の「彼」との田舎生活に不満であり、「彼」に尽くし支えるという気持ちが薄いということであると「彼」には感じられる。そして、それは田舎においてしっかりと生活を大切にしつつ神秘(人工の美)もある「芸術の世界」に住みたいと考えている「彼」をまるで〈神秘(人工の美)は理解できない〉〈神秘のある世界に生きている夫との淋しい生活は嫌だ〉とでも言うように、受け容れず、否定することでもある。「彼」はあるときは安い皿も大切にしろと〈生活〉を重んじることを要求し、あるときは「一つだけ欲しかつた」薔薇ではなく全ての薔薇を摘んできたことに怒り、自分の魅了される〈神秘〉について理解していることを要求する。すなわち、「彼」は生活の中に神秘がある「芸術の世界」という理想を妻にも理解し、その実現まで耐え、協力してほしいと考えており、だからこそそれに反して東京を思う妻を嫌悪するのである。






「彼」は自分がどうしても生活の中に神秘(人工の美)を求めてしまうため不可避的に妻を傷つけてしまい、苦悩しているのであるが、その苦悩から救い、「芸術の世界」の実現を助けてくれる存在としても妻を見、それを妻に求めてもいるのである。
 これらのことから、「彼」が求める〈妻〉像は、傷つけられようとも夫の苦しみを理解し、つつましく耐え、夫との生活にたとえば「糸とり」のような仕事をして尽くすというような〈妻〉であると考えられる。














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