『田園の憂鬱』論 第六章 まとめ


第六章 まとめ(妻をどう思い、妻とどうなりたかったのか)





 最後に、「彼」の妻への思い、また「彼」が妻とどうなりたかったのかということについて、これまで述べてきたことを踏まえ、まとめていく。


「芸術的因襲」が深く心に根を張り、あらゆる風物に過去の芸術の美を見出すことのできる芸術家としての感性を持った作家志望の「彼」は、自然の中に人工がある世界を〈美〉とし、生活の中に神秘が共存する「芸術の世界」を理想として求めた。そして「彼」は避けがたくその取り憑かれたものへの欲望を追求し、本来愛し大切にすべき者を疎かにしてしまうという『ファウスト』にも描かれる悲劇的な性質を有していた。
また、「彼」は本論文第二章第二節で述べたように普通の生活者として生活のために生きることの価値を認めてもいた。その認識ゆえに「彼」は「芸術の世界」を求める「性分」によっていつも妻を疎かにしてしまうことを自省し、生活のために何の仕事もできないことを申し訳なく思うのである。「彼」は妻を厳しく叱責しながらそれを悔い、自分自身を責めている。妻に憎しみを抱いているのではなく、穏和に接したいと望んでいるのである。「彼」は自分が「忍耐を知らない」(どうしても「芸術の世界」を求めてしまう)ためにいつも傷ついている妻を不憫に思っているのである。



一方で、「彼」はファウストを救ったグレートヘンやポーの詩のユーラリーや「糸とり娘」のような、つつましく夫の招いた不幸に耐え、夫の幸福のために尽くす〈妻〉を理想としていた。つまり、「彼」は自分の「性分」が招いた不憫さに耐え、それでも夫の幸福を願ってくれる〈妻〉を望んでいたのである。あらゆる風物に人工の美を見出し、生活のみの世界に神秘を求めてしまう「彼」にとって、生活と神秘が共存できる「芸術の世界」の実現は唯一自分が生活していくことのできる道であった。たとえそれを求める途上で妻を傷つけるとしても、「彼」が生きていくにはそれしか方法はないのであり、妻は夫の幸福のためにじっと耐え、「芸術の世界」の必要を理解し、その実現を願ってくれることが「彼」にとっては望ましかったのである。また、真に「芸術の世界」を実現できてこそ、妻に穏やかに接し、生活を重んじることが可能になるだろうという希望も「彼」の胸にはあったのではないだろうか。




しかし、現実の妻は生活のために文学の仕事や畑仕事に励むこと、つまり生活のみために生きることを夫に求める。また、夫の救いや幸福を願うどころか、以前自分がいきいきと働き生活していた東京に思いをはせ、自らの生業[i]であった女優業に並々ならぬ未練を持っているように「彼」には見える。「彼」が聖フランシスの伝記から「芸術的因襲」を託して名づけた犬を殺すと言い、野良仕事をしない「彼」を「贅沢な生活でもして居る」と不愉快に思う田舎の人々と同じく、妻も本質的には〈生活〉一辺倒に生きる「一般の世間の人たち」の一人に過ぎなかったのである。「一般の世間の人たち」は〈生活〉一辺倒に生きることを「彼」に強要し、「彼」の取り憑かれている「芸術の世界」を許容せず、生活の中に神秘を求める気持ちを理解しない。「芸術の世界」の実現を願ってくれる〈妻〉を理想としていた「彼」は、現実の妻がそれを理解せず、むしろ否定する側の人間であったことにこの田舎生活で直面し、いっそう深い孤独と憂鬱の世界に陥っていくのである。「彼」は妻に対して先に述べた〈不憫さ〉を感じつつ、一方で〈この妻は自分を救ってくれる妻ではない〉という失望の思いを抱いているのである。


そして、「彼」が妻とどうなりたかったのかについてであるが、先述の通り「彼」は「芸術の世界」に取り憑かれる一方で妻に穏やかに接したいと考えており、妻との生活のために仕事をしなければとも思っている。妻は「静に、涼しく、二人は二人して、言ひたい事だけは言ひ、言ひたくない事は一切言はずに暮したい住みたい」と穏やかな生活を望んでいたが、「彼」もまた妻と穏やかに暮らしていくことを望んでいたのである。
五章で「彼」は庭先の痩せ細った薔薇の木に「日光の恩恵を浴びせてやりたい」と日光を遮っている梅や杉や柿の枝を伐った後、藤蔓や生垣といった庭の伸び放題の草木を剪伐していく。何の仕事も手につかない「彼」には珍しい労働のシーンであるが、ここで「彼」は〈自然〉が浸食しきった庭に自らの手で〈人工〉を加え、見た目上の「芸術の世界」を作ろうと試みているのである。言ってみれば、この庭仕事という行為は「芸術の世界」を作るということの象徴であったのである。この日「彼」は珍しく大食し、快い熟睡を貪り得ている。この満腹・熟睡という生活の自然な喜びや安息は日中の庭仕事による「芸術の世界」の仮の実現によってもたらされたものである。このシーンは「前後も忘れる深い眠」を求めて田舎を訪れた「彼」が熟睡という安息を得、妻を大切にする余裕や穏やかさを持って暮らしていくには、やはり「芸術の世界」の実現が不可欠であるということを象徴的に示しているシーンであると言える。
つまり、何より「芸術の世界」を優先し、妻を疎かにしてしまっている「彼」であるが、妻を大事にし、生活を慈しむためには、やはり〈生活〉と〈神秘〉を両立し、「彼」に救いと安息をもたらす「芸術の世界」に住まなければならず、「彼」の妻との将来は「芸術の世界」の実現の先にこそあるのである。そのため、「彼」は不憫な妻に今はつつましく耐えてほしかったのである。「彼」は自分が「芸術の世界」を実現し、その先に穏やかさや安らかな生活の喜びを手にし、その上で妻と生活を営んでいきたかったのである。

 また、「彼」にとって自然の中に人工のある「芸術の世界」は「美」である。したがって、「芸術の世界」を実現することはその「美」を文学作品に昇華し、名を成し、一人前の作家として妻との生活を支えていくというところにもつながっていく。「彼」は何よりもまず「芸術の世界」を実現し、その先に妻への穏やかさを手に入れ、また作家としての生活力をも手に入れて、妻を大切にすると同時にその生活をも支えていきたいと考えていたのではないだろうか。「彼」は「芸術の世界」の実現の先の地平に作家として真に穏やかで幸福な妻との生活を望んでいたのである。













[i] ここでは生活を営むための仕事、生計を立てるための職業という意味で「生業」という語を用いた。



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