小説 「年とる前に死にたいぜ」1

 

 

 

第一章 ローリングジェットサンダー

 

 

 

     一

 

神戸と姫路の間には、都会とも田舎ともつかない、どうしようもない町がいくつかある。透の生まれた高ノ江はその中でもとりわけ特徴のない末梢の町だ。透はこの町が嫌いだった。

例えば神戸の三宮や元町の町には、行き来する人々にそれぞれ違う匂いがあって、そこにはルーツを持たない人々の自由がある。そういう町は誰がいてもその町だし、いつでもその実体は今そこにいる人なのだ。そして山間や日本海沿岸の郡とか村とか言った方が相応しいような田舎町には、意志を持たなければ生きていけない人間の強靭さがある。世界との繋がりを断たれた空間で自ら何かを選び掴み取ろうとするアクティブさがある。

この町はどうだ? 高ノ江では毎年大きな秋祭りが催される。一トンもある御輿が地区ごとに出て、地元のテレビ局が取材に来る。男は足袋を履き半被を着てフンドシを締め、御輿を担いで声を枯らす。血筋をここに持つ人間、この土地に染まった人々は一年中この日のことを夢見ていて、その話ばかりしている。年に一回、待っていればやって来る、その日だけが楽しみで生きているのだ。彼らはどこに行ってもこの町に縛られたままだ。どこまで行っても世界にはこの町しかない。全てが言い訳だ。製鉄所、蒲鉾工場、役所、水道屋、不動産屋、肉屋、どこに行っても大人は自分の詰まらない人生を肯定するために生きている。今まで出会った人間が、これまでの経験が、かけがえのないものだと思い込もうとしている。老人だ。戦う人は一人もいない。嫌いだ。死んでまえ。透はそんな幼い考えで高ノ江の町を嫌っていった。

透の母は古くからの高ノ江の家の子だったが、父は長崎の生まれだった。めったに口論などしないこの夫婦の数カ月に一度ほどある小さな不和、その原因がこの町やこの町の人間に対する父のちょっとした嘲り、嗤いにあることを透は知っていた。父もこの町が嫌いなのだ、ということを透は随分前に勘付いていた。その精神の潔癖からこの町に染まろうとしない父はいつでも客人であり、余所者だった。父は例の秋祭りはフンドシどころか見物もしなかったし、正月も母方の親戚の家へ行ったり、初詣などしなかった。近所付き合いも親戚付き合いも器量のいい母に任せっきりだった。透はこの夫婦に不和のあるたび、まるで異端者のような父を憐れんだり、その父に振り回される母を傷ましく思ったりした。そして自分のこの町への嫌悪が父によって刷り込まれたものではないかと疑っては、いつもそれを否定した。透は自分の内にあるものは全て自分が作りだしたもので、自分の所有物なのだと信じた。

透は父も母も妹も好いていた。透は隣の市の阿久川西高等学校という高校に通っている。西高は神戸と姫路の間のどうしようもない学区ではトップクラスの県立校で、京大や神大に行くような奴がザラにいるバリバリの進学校だった。将来、社会、色々な大事なこと透は考えないし、他の生徒のように部活もせず、塾にも行かず、通過儀礼を適当に消化しながら何不自由ない学生生活を過ごしていた。何もしない透がこうして一応落ちこぼれもせずに進学校に通うことができているのは、ただ家族のお陰だった。母親や妹が「こいつは学校に行くものだ」と思っているから、約七キロある通学路を毎日自転車で走り、正課が終わればすぐに同じ道を帰った。透は家族のうちでは勤勉で努力家ということで通っていたし、妹からは尊敬すらされていた。

透は父や母が自分に与えた習性が、世の中の勝者だけが有するある一つの論理だと気付いていた。努力とか勤勉とか真面目とかそういった性質が正当に報われてきた者が勝ち得た世界観だ。透はそれが両親に植え付けられたものであることを自覚していた。その被投性を嘆きはしたが、透はその習性を植え付けた両親に感謝もしていた。

高校を出て、その惨めな親と同じように高ノ江の町で建設業者や溶接工やその他の肉体労働者になる中学の同級生。あるいは兵庫県内の誰でも行ける大学を出て、地元のどこかの下請け会社に就職する連中。彼らはこの町からは逃れられない。むしろ好んでこの町にへばりつくだろう。この町を離れればきっと全てを否定しなければならないから。彼らはそれに耐えられない。そして彼らの子供も、その子供も、この町からは逃れられないのだ。この場所で職に就き、結婚して、死ぬだけだ。

全ての西高の同級生と同じように、透は県外のいい大学へ行き、二度とここへは戻らないだろうと考えていた。この町から抜け出すチャンスを用意した両親にこそ透は感謝したのだ。いつまでもこの町と交わらない父親と、その父親にこの町から逃れる糸口を見出だす母親と。

しかし、いまだかつて自分が何も選んだことがないということに透は気付いていなかった。透は父の自我によって、母の選択によって、この世に生み出された赤ん坊のままだった。赤ん坊は紛れもなく老人の顔をしている。




人気ブログランキング


コメント