小説 「年とる前に死にたいぜ」3

 

    三

 

 祭りの後で所在ない話をしているとき、パアンと安い破裂音がした。誰かが教室の窓から花火を打ち上げたらしい。教室の後ろに溜っている男子生徒が三、四人、嫌に大きな声で騒いでいる。「祝砲や」と誰かが叫んで、パンパンとまた乾いた音が鳴った。日の高いうちに上がる花火を透は初めて見た。白い火の玉と赤や緑の閃光は一人前の花火の形を作っている。

「一体何の祝砲や」と牧はこぼしたが、透は一切を了解させられた気分だった。

この小さな爆発で彼らの欲望は完全に満たされる。そして透の欲望や苛立ちも、こんなつまらない市販の玩具によって全て浄化されてしまうのだ。透はそれを腹の中に押し留めようと努力し、悶えた。これは絵踏みだ。この風景を見せられて、透は透の欲望をなんとか一滴も漏らさずに純粋なまま保ち続けねばならない。欲望はその欲し望む形でしか発散されてはならないのだ。昇華もカタルシスも許さない。ヌラヌラした欲望はヌラヌラしたまんま。次々に生まれる新しい欲望を上へ上へと溜め込みながら、そのときが来るのを透は待つ。こんな小さな爆発で済ませるわけにはいかない。面白くない、全然面白くないぞ、と透は心の中で自分に言った。

次に湧いてきた感情はこの悪趣味な試験を仕掛けた者への「生かしてはおけない」という怒りだった。花火を上げたのは透と同じく高ノ江から来ている大原という男子生徒で、口を開けば格闘技だの地元の秋祭りだのの話、中学のツレや飲酒に関する武勇伝、そんなようなことしか出てこない、醜い、懐古的なニキビ面の男だった。透は中学の頃こいつとつるんだことがあったが、もう頭ごなしに怒鳴りつけて問答無用に拳骨の一つもくれてやっても構わないと思った。しかしそうすると、もっと本質的な怒りの純粋が侵蝕されてしまうような気がして、透は単純に怒りをぶつける気持ちを持つ前に失った。大原はどんどん残りの花火を打ち上げ、体操服姿のクラスの連中は皆「やれ、やれ」とそれを煽るようだった。

 

そのときだった。教室の後ろの開け放しのドアから一人セーラー服の女子生徒が、汚い体操着のドブのような空間に入って来た。帰ってきた三組の美少女、砂丘の女王、安永睦美だ。彼女の眼はいつにも増して大きく見える。彼女は花火の上がっていく窓の方に音もなく歩いていった。

安永睦美が連中の前に立ったとき、突如としてその中心にいた大原に殴りかかったのには驚いた。大原は不意の一発目で鼻血を吹き、「えっ」とまだ状況を飲み込めないような様子で小さな目を魚のように丸くしている。お構いなしに安永睦美は、細腕を折れよとばかり大原の顔面に振るい続けた。猛然と男子生徒に向かっていく彼女は格闘技の素養があるわけでは恐らくない。パンチといったらほとんどへなちょこで、全然腰が入っていない。ただ滅茶苦茶に、怒りなのか何なのか、身体に染み付いている気色の悪い熱をぶつけているだけなのだ。その姿は世にもみっともないタコ踊りにも見えるし、原始人の鋭角的な祭祀の踊りにも見える。攻撃という攻撃は金的とか人中とかの急所にヒットしているわけでもない。そのくせ大原はただ殴り付けられるだけになって、致命傷を負った日本兵のような顔をしている。口からは血が溢れ出し、目から涙も流れている。大原は絶対に彼女の攻撃を防ぐことはできないという様子で、いつしか彼女に殺されるために生まれてきた人のようになっていた。その姿はただただ醜かった。そしてそれよりも最低に見えるのはあの安永睦美なのだった。

彼女は「私より最低な奴はいるか? いたら今すぐ手を挙げて出て来い」とでも言うかのように、完璧なまでに最低だった。彼女は今小便も大便も何もかも漏らしているのではないだろうかと透は思った。しかし彼女の最低は大原のような醜さを持たなかった。いや醜いと言えば醜いが、それは一般的な醜さではなく、人を見入らせる何かを持った最低さだった。彼女は今間違いなく世界で一番下の人だった。暴力は終わりというものを知らないようだった。彼女は大原が倒れ込んでも馬乗りになって腹だの顔だのに向かって大きく振りかぶり続け、末は大原の手持ち花火を何本か取ってライターで火を着け、緑色の炎を大原の顔面に当てだした。口の中に花火を差し込もうとするとさすがの大原も少しだけ呻いて、必死に口を閉じて抵抗した。教室には煙が立ち込め、火薬の臭いが充満した。有毒ガスや金属粒子を含んだ真っ白な煙の教室には秋の西日が一筋綺麗に差し込んだ。椎名と牧はいずれもこの有様を茫然と、透は何か昂然と目を見開いて眺めていた。

彼女は仕上げに大原の体操服の背中のところに花火で「ポコチン」と、これまた最低の言葉を的確に選び焦がし書き付けて教室を後にした。教室の後ろの掃除箱の前を通り過ぎるとき、彼女がふと菩薩のように自分に笑い掛けたような気がした。そうでなくとも透は彼女の満月のような眼球から飛び出す光線に瞬間当てられたようになってしまった。もしかしたらそのとき自分の顔は引き攣りながら笑っていたのかもしれない。

目の前で初めて暴力というものを見た、という感動を透は噛み締めた。あれはまるで銃撃戦だった。銃撃戦に必要なのはスピードでもパワーでもなく、いかに早く引金を引くかということだ。無思想に無理由に、理不尽に徹することだ。撃たれる前に撃てばよい。それこそが暴力なのだ。透が見たいのは一対一の男の喧嘩や決闘ではなかった。先の見えた意地のぶつかり合いなどは老人の弁舌とさして変わらない。惨めな、自分を肯定する言い訳だ。あるいは卑怯な欲望の置き換えだ。傷口に塗る軟膏だ。透が見たかったのは、子供の頃からずっと見たかったのは、あの鉄砲という奴が持つ、本当の暴力の全貌だったのだ。安永睦美が透に見せたもの、それは完全に本物の暴力だった。しかもそれはあの映画の鉄砲なんかとは違って、透には途方もなくリアルだった。透は体中掻き毟りたいような気持ちだった。




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